こんにちは、ゴローです。
本日の記事では、8ヶ月も間が空いてしまいましたが、「病気発症からの歩み」シリーズについて書いていきます。
こちらの記事の続きになります。
そして、7年間の病人人生の中で、一番記憶に残っている日というか、人生最大に怖かった日が、2015年12月15日になります。これはハッキリといえます!
今日の記事を、深刻になりすぎず、どこまでユーモアを交えながら書けるかが、僕の腕の見せ所になるな、頑張ってみろ!笑
そんなわけで、「あの夜」と通称呼ばれている、忘れることのできない日に向かっての日記になります。後ほど詳しく書きますが、感覚的には、APTX4869を飲んだ感じでした。
この日がやってくるまでは、来年頭から会社に復帰できたらいいな、この症状はいつ治るのかなあ、なんてオメデタイ事?を考えていましたが、もう会社に戻れるかどうかなんてどうでもいいわ!とにかく生きていられるかどうかだろ!って感じになりました。
人生で初めて「死」を意識した日でもあり、この日を境に、2年間くらいほぼ毎日リアルな死との戦いの日々になっていきました(1年半前から再びですが…)。
Contents
倉木麻衣さんの曲「Sun will shine on u」【12月11日】
前回の記事が12月10日までということで、その翌日のことでした。
この曲に出逢った時の衝撃、この曲の素晴らしさについては、こちらの記事でめちゃくちゃ詳しく書いているので、目を通してほしいのですが、
体はもちろんのこと、精神的にも限界に近くなっていた僕は、この曲を何十回とリピートして聴きながら、泣きまくっていたのを覚えています。
涙で床が水浸しになっていてビビりました。沢尻エリカさん主演の「1リットルの涙」というドラマが昔ありましたが、300mlくらいはあったと思います(笑)
1日で流した涙の量は、間違いなくこの日が最大だったことでしょう。涙を流しながら、僕の頭の中では、ドラマ挿入歌の「粉雪」が流れていました。いや、嘘です!この間ずっと、永遠に倉木麻衣さんの曲「Sun will shine on u」が流れていましたので(笑)
よく分からなくなってきたので(笑)、次の章にうつります。
2日連続で一歩も外出できず【12月12・13日】
この地点で病気発症から約3ヶ月。
どれだけきつくても、出来るだけ外の空気を浴びるために、最低でも家の周りを少しだけでも歩くようにしていた。
が・・・、どうしても動くことが出来なくて、一歩も外に出ることが出来なかった。しかも、2日連続でそれが続いてしまいました。
これは、個人的にはかなりの衝撃!
少なくとも小学生以降、2日連続で外出しなかったことは無かったと思います。中学高校6年間、僕は一度も学校を休んでいません。余談ですが、6年間体育の授業も一度も休んでいないんです!たぶんこれは、俺だけの記録なんじゃないかと思っています(笑)
大学生の頃も、授業はよくさぼっていたけど学校には行っていたし、お酒でつぶれている日も多かったけど、それでも絶対、少しは外に出ていました。
社会人になってからは、休みの日はほとんど、野球orマラソンor旅に出ていたので、1日中家にこもったということは、記憶にありません。
だからこその衝撃の2日間!
むろんこの先、1ヶ月以上外出無し、とかが普通になっていきますが。この当時はまだ、寝たきりという感覚は無かったけれど、1日中ほぼベッドの上にいただけでした。
当時の手記を読んでみると、かなり辛そう。12月15日を前にして、僕自身の記憶よりも限界に近かったみたいですね。頭重がとにかくきつかった記憶ですが、すでに呼吸が全然できないと書いてあるので、もうそんな感じだったんだなあと…。
最後のあがき!弘法大師参拝という挑戦を始めるも【12月14日】
2日連続で家を出られなかった翌日、このままではやばい!何か行動を起こさなきゃ!と思い、最後の力をふりしぼって、名古屋21大師を巡ることにしました。
こちら1番札所の大須観音。本場四国で、大学生の頃に手に入れた金剛杖を持って!
この頃はまだ、ギリギリ歩けていた時期でしたし、2番札所の七寺までも500m、徒歩3分の道のりということで、何とかクリア。
この日はここまで。名古屋21大師を巡ることで、なんとか良い方向に進んでほしい!という願いもむなしく、これが最初で最後の歩き遍路となりました(汗)
下の記事に書いたとおり、ここから3年3ヶ月後の2019年2月に、3番札所の「成田山 萬福院」に、車椅子という形ではありましたが、行くことが出来ました!
3年越しの参拝に、この時は感慨深いものがありました。
そしてこの日の夜、これまで味わったことの無いような爆弾が落とされました。頭がひきちぎられるような頭痛や頭重をMAX状態と呼んでいたのですが、この日初めて、それが2回きました。
遍路で体に負担があったのかは分かりませんが、12月に入ってからというもの、僕の体は着実に限界を迎えていっていました…。
そしてやって来た12月15日。
岐阜へ!鏡島弘法とばあちゃんへの報告【12月15日①】
ここ数日で、限界に近づいていることが分かったので、この日はホントに最後の力を振り絞って、岐阜(ばあちゃん家)に行くことになりました。
というのも、じいちゃん・ばあちゃんに毎月顔を見せていたのですが、9月から行くことが出来ず、心配かけないようにごまかしていたのですが、絶対おかしい!と、ばあちゃが気付き始めていました。
そしてもうすぐやってくる正月。ここで顔を出さないのは、もうごましきれない!ということで、僕の状態を報告せざるをえなくなりました。結果的に、この日行ってなかったら、報告することも出来なかったので、無理矢理行って良かったです。
岐阜まで行くということで、小さい頃から僕が一番パワーをもらってきた大師(なんだこの表現!笑)である「鏡島の弘法さん」に参拝へ行きました。
が、パワーをもらうどころか、この夜まさかの大悪化を迎えるわけです。ひょっとすると鏡島の呪いがあったのかもしれません(ちょっといろいろありまして)。
それでも、ここから5年後!
こちらの記事にあるとおり、金の御朱印をもらいに行くことが出来ました!僕が育った場所で、僕の誕生日に行くことができ、間違いなくパワーアップしました!
今現在の辛い状態を払拭するためにも、また鏡島弘法にお参りに行こうかな。きっとこの場所なら、僕に純粋なパワーをくれるはず。
鏡島弘法での参拝を終え、いよいよばあちゃん家に行きました。なんだか異様な空気感というか、緊張感があったなあ、この時は。
辛い報告に、ばあちゃんも泣いていたし、僕も座っていられない状態に途中からなっていたけど、ここから体調がさらに悪化していくわけだから、人生はなかなかハードですね。
体調に大異変!4時間超の格闘後、パイカルが欲しい!【12月15日②】
報告を終え、帰りの車の中、普段の症状に加え、心臓がかなり痛かったのを覚えています。今となっては何度も経験している症状ですが、この時はかなり嫌な感じでした。
家に帰り、少し休んだ後に夕ご飯を食べようと、箸をつかもうとした時でした。右手が動かない!なんだこれは!脳からの指令が届かないのです。今なら分かりますが、おそらく自己暗示みたいなモノもあったのだと思います。
そうこうしているうちに、これまで味わってきた症状とは全く別の次元で、いろんな症状が襲ってきたのです。
言葉で表現するのは難しいのですが、これは大変なことになるぞ。一瞬でも氣をぬいたら、運が良くても死ぬことになる。変な表現ですが、そんな感覚がありました。
当時の一番の感覚としては、二重人格、もしくは多重人格になる!ホントにそんな感覚でした。もちろん、二重人格にはなった事がないので信憑性もありませんが、頭の中がとけていくような、自分の中から何かが飛び出していきそうな、そんな感覚でした。
とにかく、一瞬でも氣を抜いたらやばいことになる!それだけは分かりました。この状態が夜中まで4時間以上続いたので、恐怖なんて言葉では言い足りなかった!
この時は感じている余裕もありませんでしたが、後に分かったことがあります。
それは、APTX4869(アポトキシンよんはちろくきゅう)を飲まされた!まさに、その感覚そのものだ!って、今なら分かります。
これで皆さんも、少しはイメージがつきましたでしょうか?笑
とはいっても、実際に経験しているのは、コナン・灰原・メアリーの3人だけなので、リアルな感覚は伝わりづらいかな(苦笑)
さっきから何を言ってるんだ!?と思われている方もいるかもしれませんので、説明しておきます。APTX4869とは、工藤新一が黒ずくめの組織(ジン)から飲まされた薬で、コナンの姿になった時の薬です。シェリーが灰原哀になったのと同じですね!
だから、僕が二重人格になるかも?と当時抱いた感覚も、あながち間違ってはなかったんじゃないかと思います。ひょっとしたら、僕も小学生の姿になっていたかもしれません。
7年間も苦しむことになるのなら、そっちの方が良かったのかも、なんて思ってしまいますよね。僕の場合は、黒ずくめに追われているわけでも無いですし(笑)
って、ちょっと冗談ぽく言っているように聞こえるかもしれませんが、半分冗談で、半分は本氣で、そして100%本氣で当時は怖すぎました。
ここから1年以上、ほぼ毎日似たような症状に襲われていたので、本氣でパイカル(白乾児)を飲もうかと迷ったくらいです。風邪の症状がある中でパイカルを飲むと、大人の姿に戻ることができた事例があるからです。
僕の場合も、常に風邪と同じ症状があったわけで、もしホントにAPTX4869を飲まされたのと同じ状態であれば、「大人の姿に戻れる=病気の症状が治る」可能性はある!という仮説を立てることができたからです。
でも結局、ビールを一口飲むだけでも症状が悪化していたので、アルコール度数が60%近くもあるお酒を飲むなんて、あまりにも危険すぎて試すことは出来ませんでした。
なんかほとんどコナンの話になってしまった氣もしますが(笑)、とにかく、とにかく!この日感じた恐怖といったら、ものすごいモノがありました。
今現在もきつい状態だけど、こういった時期を乗り越えてきてくれた自分のためにも、弱氣なことなんて言ってられないんです!頑張ります!
そして、この日を境に、「本当の」地獄の日々が始まっていくことになるわけですが、当時の感覚では、2016年を迎えることは無理なんだろうな…、って感じでしたので、今こうやって、7年後の2022年にブログを書けていること自体にも感謝しながら、
次回につづきます。