ドラマ映画の名言・名シーン

【佐藤健・土屋太鳳W主演】映画「8年越しの花嫁 奇跡の実話」の名言・名シーンから学ぶ!

こんにちは、ゴローです。

本日の記事では、2017年に公開された映画「8年越しの花嫁 奇跡の実話」の名言・名シーンについて書いていきます。

映画について、当ブログで書くのは初めてのことです。

当時かなり話題になっていた映画なので、知っている方も多いと思いますが、公開から7年も経った今、なぜこの映画について書こうと思ったのか?

僕自身は、当時この映画を見られるような状態ではもちろんありませんでした。それでも、この映画の元になった、中原尚志・麻衣夫婦の「軌跡」の話はなんとなく耳にも入ってきていました。

「8年」かあ、すごいな!ほぼ寝たきり状態だった当時の僕にとっては、とりあえず8年間頑張ってみるか!と思わせてくれたものでした。

そして現在、あと3ヶ月で僕の病気も丸9年となります。なので、病気発症から8年となっている間に、この映画の話をしたかったわけです。8年間頑張ってみるか!と思い、いざ8年という月日が経ってみると、それはもう簡単な日々ではなかったですよ・・・。ここで詳しく書くことはしませんが、それだけ8年という月日の長さを感じるだけに、この映画の中で流れている8年間の、各登場人物の行動・想いのすごみが分かるつもりです!

さらにもう1つ。映画の主人公2人と同じように、婚約していたが結婚式直前に難病を患い、病気がきっかけで数ヶ月後に別れることになったという、身近な知り合いがいます。普通はこうなると思うんですよね。いろいろ話も聞いていただけに、だからこそ8年越しに結婚することになった、この「実話」を元にした映画のすごさが分かります!

それは、ただ結婚できたことがすごいと言っているわけではなく、意識不明だった状態から2人ともが諦めず「ここ」まで来られた!っていうところが、今の僕にとっては刺さる部分でもあります。

そんなわけで、皆さんが受け取る感動的な映画という見方よりも、今の自分だからこそ感じる部分が多かったであろうこの映画について、名言・名シーンに触れながら書いていきたいと思います。

とはいえ、例のごとく前置きが長くなってしまいましたので、本題の方が短いかもしれません。はたまた長いかもしれません。それは今書いている僕にも分かりませんが(笑)、引き続き読み進めていってもらえたら嬉しいです。

 

薬師丸ひろ子(中原麻衣の母親) → 佐藤健(中原尚志)への言葉・名言

家族じゃないから、そういうこと言えるんだよ。

どうして大丈夫だなんて言えるの?全然大丈夫なんかじゃない。うまくいく保証なんてどこにもないのよ。適当なこと言わないで。

麻衣が卵巣摘出の手術をすることになった時、尚志が「大丈夫です。きっと、うまくいきます。」と励ました時に、麻衣の母親が言った言葉がこれです。

尚志のことを考えると、一見かなりひどい言葉を投げかけているように思いますが、「家族じゃないから言える」という言葉には深みも感じますし、それだけ母親の麻衣への愛情が強いということでもあります。

(尚志の麻衣に対する愛情も、家族レベルだというのも前提ですが)相手への想いが強ければ強いほど、氣軽に「大丈夫」とは言えないこともある。皆さんも経験上、理解できるのではないでしょうか?

 

杉本哲太(中原麻衣の父親) → 佐藤健(中原尚志)への言葉・名言

もう君は、いいと思うんだ。

尚志くんを見ているのが辛い。もう麻衣のことは、忘れてもらっていいんだよ。

(そばにいたいと、引き下がる尚志に対して)

ダメだ。君は・・・家族じゃない。

その後も尚志は、麻衣のところへずっと足を運んでいました。そんな姿を見て、あらたまって「君は、家族じゃない」から、もう来なくてもいいと言われてしまいます。

でもそれは、尚志のことを想ってこそ、尚志への感謝があるからこその言葉です。先ほどと同じ「家族じゃない」という言葉ですが、意味合いが全く違います。

婚約者や友達であれば、寄り添うことも出来れば、離れることだって出来るんです。でも、「家族」である以上は、逃げることは(基本的には)許されない。本当の意味で当事者になれるのは家族だけなんだなって・・・、そんなことを思う経験もありました。

だからこそ、昔からの友達が何人も、自分のことをずっと気遣ってくれているのは嬉しい限りです。もちろん、家族ほど向き合う重さは違うかもしれません。それでも、離れる選択肢もある中、いつまでも仲間でいてくれることは感謝でしかありません。

 

麻衣の父親に続き、母親からも次の言葉を投げかけられます。

でもね、おかしくなっていくのは、私たちだけでいいと思うの。尚志くんの人生まで壊したくない。だから、麻衣のことは、もう忘れて下さい。

もちろん、尚志のことを想っての言葉です。ここで「おかしくなっていく」という言葉を使っているように、家族に重病人がいると、本人だけでなく、時に本人以上に家族の負担は大きいということもうかがえます。

僕も、今でこそ家族への負担は減らすことが出来ていると思いますが、一番ひどかった時の自分を客観的に見たら、そりゃ周りの家族も壊れていってしまう可能性はあるなって思います。もちろん、肉体面よりも精神面での負担です。あんなの見てられないわ!辛いのは本人だけじゃないんだよな・・・。

話は戻って、それでも尚志は麻衣のところに通い続けます。「家族」になる覚悟をしたということですよね。結局、結婚式をあげるまで8年もかかるわけですが、皆さんなら何年待つことが出来ますか?僕は病気の当事者ではありますが、どちらかというと尚志の立場でこの映画を見ていました。自分が同じ立場だったら、正直8年も待てないと思います。

だから言いたい。尚志すげーよ!!

 

浜野謙太(尚志の同僚) → 佐藤健(中原尚志)への言葉・名言

尚志、ごめんな。ホントに・・・、ごめんな。

麻衣の意識が戻らない中、会社の同僚室田の結婚式に出席することとなった尚志。その尚志に泣きながら言った室田の言葉がこれです。

この映画を見たほとんどの人は、簡単に通り過ぎたシーンだったかもしれません。しかし僕にとっては、下手したら一番涙したシーンがここでした。

本当だったら先に結婚式をあげていたはずの尚志。その尚志の婚約者の意識が戻らない中というシチュエーション。式に誘う方もきっと辛かったことでしょう。その氣持ちが分かるだけに、この短い言葉が、このシーンがめちゃくちゃ染みます!

ちょっと違う状況だけど、少しだけなら座れるようになってきた時の僕を、友達が結婚式に誘うのを言いづらそうにしていたことがありました。単純に当時の僕の体力を考えたら無理かな?という想いだったかもしれませんが、Goroがこんな状態の時に、自分だけ幸せになってごめんなっていう氣持ちもあったんじゃないかなと思います。まあ、そこまで考えるようなキャラの友人ではないですが、奥底にはあったかもって思うと、なんだかこの場面の2人のやり取りが分かるような氣がしてグッときました。

そして、尚志の立場で考えてみれば、表には出さなくても、ホントだったら自分もこうやって結婚式をしていたんだろうな・・・って嫌でも思うはずです。2人のどちら側の立場に立ってみても涙が出ずにはいられませんでした!

 

中村ゆり(ウエディングプランナー島尾真美子) → 土屋太鳳(中原麻衣)への言葉・名言

ずっと。毎年毎年、必ずその日はこちらにいらして、キャンセルはしませんって。

なので、ずっと予約されたままです。

毎年、3月17日は、お2人のために空けてました。

麻衣が車椅子で式場の前を通ると、偶然島尾に出くわし、この事実を初めて知らされたのでした(麻衣は島尾のことも、ここで結婚式をあげる予定だったことも覚えていません)。

8年越しの花嫁。この映画のタイトルが成立した立役者の一人が、ウエディングプランナーの島尾です。麻衣が病気になり式場をキャンセルすることになると思われましたが、尚志は来年の同じ日に延長したいとお願いします。前例が無いので・・・、と最初は難色を示していた島尾でしたが、実は8年もの間、この日を2人のために空けておいてくれたのでした。

この物語に「奇跡」という言葉が使われるのは、当事者2人の出来事だけでなく、こうやって周りの人の力・優しさがいくつも重なっているからなのだと思わされますね。

それに、キャンセルしてしまったら麻衣は目を覚まさない・・・尚志はそんな風にも直感的に感じていたのではないかと思います。僕も、病気になった最初の頃はすぐ治るものだと思っているので、いろんな予定や予約を何回も延期していました。さすがに9年経とうとする今でも残っている予約はありませんが、「約束」は残っていると思っています。何年越しになるのかは分かりませんが、その時が来ることを信じて頑張っていきます!

 

土屋太鳳(中原麻衣) → 佐藤健(中原尚志)への言葉・名言

どうしてもお礼、言いたくて。ずっと待ってくれてた。

信じてくれて、そばにいてくれて、でも、まだ思い出せない。

意識は戻ったものの、記憶障害が残った麻衣は、尚志のことを思い出すことはありませんでした。一緒にいても、婚約者だといきなり言われても・・・、結局2人は別れることになってしまいました。

それでも、自分の意識が戻らない中でも、尚志が自分に向けて撮ってくれていた数々の動画を目にして、尚志がずっと待っていてくれていたことを知ります。

映画の最後のシーン、麻衣は1人で尚志に感謝を伝えにいくのでした。その時の言葉がこれです。ずっと待っていてくれたことが、信じてそばにいてくれたことが嬉しかったのでしょう。こういう時って、それが一番嬉しいですよね。

 

それでもいい。だって私、尚志さんのこと、もう一度好きになったから。

もう一度って、なんか変な言い方だけど。

その後に麻衣が続けた言葉がこれでした。

だって私・・・。この後に続く言葉は正直予想できましたが(笑)、ベタなこの展開はドラマや映画でありがちではあるものの、この映画は「実話」であるということがすごいのです。

麻衣の病気が治った(意識が戻った)ことだけが奇跡なわけではないのです。麻衣の意識が一生戻らない可能性があった中、待ち続けると決意した尚志の覚悟が!先ほども述べたように、ウエディングプランナーさんが毎年式場予約を延期してくれていたことが!記憶が無くなった中、もう一度結婚しようとなったことが!全部ひっくるめて「奇跡」と表現される物語になったのだと改めて思います。

 

それは奇跡!?人間の持つ力はすごい!

この映画を通して、僕が感じたことをもう1つ。

病気をする前の自分なら、麻衣の病気が治ったことが、しかもその後、結婚して出産したことなどが奇跡だと思ったでしょう。もちろん、世の中には奇跡的に治ったというような病気もあるでしょう。でもほとんどは、(病気に限らずですが)諦めなかったことの結果だと思います!

この記事の冒頭で「軌跡」という言葉を使ったのも、決して奇跡なんかではなく、この物語の登場人物の想いが集結した結果だと思ったから。

尚志や家族の信じる想いはもちろん、ウエディングプランナーの島尾や、友人・同僚の優しさなど、全てのパワーがあってこそのこと。奇跡ではなく、必然だったのだと思います。

そして何より、人間の持つ力・自然治癒力などはすごいんだ!ということ。表面上は意識がなかったとはいえ、麻衣が内部で諦めず頑張っていたからこそ、目も覚ましたし、その後のリハビリも頑張って結婚式にまで繋がったはずです。

だからやっぱり、僕もどうなるか分からん!ってことです。これは病気に限ったことではないと思います。いつ「その時」が来るのか分からないことってたくさんありますよね。この記事を読んだ人には、そんな風に感じていろいろと諦めずに頑張ってもらえたら嬉しいです。

8年という年月の重みも分かるつもりです。8年頑張るってけっこう大変だよね。だからこそ、8年越しのってとこが余計にグッときました!その8年を越えて、僕はもうすぐ病気発症から9周年を迎えることになります・・・、

が!まだまだ諦めんぞ!やれることは無限にあると思うので。頑張りすぎに頑張るということも必要になってくるので難しいとこですが(笑)

ちなみに、この映画を最初見た時は、とりあえず8年間は頑張ってみるかと思っていましたが、東京オリンピックでソフトボールが13年越しの金メダルを獲得した際に、13年は頑張ってみよう!と決意しているので、少なくともあと4年ちょいは頑張れるはずなので、今後の僕にも注目していて下さい!

 

よく分からんくなってきたので、こんな感じの締め方でいいですか?笑

それでは、本日も読んでいただきありがとうございます。

 

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