こんにちは、ゴローです。
本日の記事では、東京2020パラリンピックでのメダル獲得が期待されている、パラ陸上の辻沙絵選手について書いていきたいと思います。
※8月28日に行われた、女子400m(T47)では5位と、惜しくもメダル獲得とはなりませんでした。
辻沙絵さんについて、すでに知っている方も多いのではないでしょうか?
リオパラリンピックでメダルを獲得した際、メディアでもかなり取り上げられ、2016年末の「NHK紅白歌合戦」の審査員にも選ばれていました。
実力はもちろん、見た目や言動もかわいいということで、対談したマツコ・デラックスさんも絶賛されていました。
そして何より!5年半前に病気が始まった僕の、最初に心を大きく動かしてくれた存在でもあります。それはまた後ほど。
Contents
辻沙絵選手の歩み・経歴・プロフィール
まずは、簡単に辻選手の経歴を紹介したいと思います。
北海道出身の沙絵さんは、小学校5年生の時からハンドボールを始め、右腕のひじから先がないというハンディキャップがありながらも、高校・大学とハンドボールの強豪校にて中心選手として活躍します。
1994年:北海道七飯町(ななえちょう)で誕生
2005年:函館市立鍛神小学校5年時(小4時に函館市に転校)ハンドボール開始
2007年:函館市立本通中学校に入学、女子ハンドボール部に所属
2010年:茨城県立水海道第二高等学校に入学、女子ハンドボール部に所属
2013年:日本体育大学に入学、女子ハンドボール部に所属
その後大学2年の時に、ハンドボール部の監督から、障がい者陸上競技への転向を打診されます。ここから、沙絵さんのパラアスリートとしての競技人生が始まります。
2015年:ハンドボール部と陸上部を兼部という形で活動開始
同年10月:世界パラ陸上競技選手権大会(カタールのドーハ)にて、女子100m(T47)で6位入賞
同年11月:陸上1本にしぼることを決意(ハンドボール大学選手権を最後に)
2016年:リオデジャネイロパラリンピックに出場。女子400m(T47)で銅メダル獲得
リオパラリンピックでのメダル獲得により、一躍有名となった沙絵さんですが、その後もパラ陸上での活躍を続け、結婚後もパラ陸上を続けていきます。
2017年:日本体育大学の大学院に進学
同年7月:世界パラ陸上競技選手権大会にて女子400m(T47)で銅メダルを獲得
2018年:重本健太さんと結婚(辻沙絵から重本沙絵に)
2021年:離婚したことを発表し、登録名は辻沙絵に再度変更。東京2020パラリンピック女子400m(T47)では5位。感動を与えてくれました。
辻沙絵選手とハンドボール
経歴を紹介した中で、ハンドボール?と思った方もいるかもしれません。
沙絵さんは、右腕のひじから先がない、先天性の前腕欠損があります。それでも、小学生の頃から、健常者と混じってハンドボールをしてきました。
しかも!高校では、女子ハンドボールの強豪校、茨城県立水海道第二高等学校で、レギュラーとして高校総体ベスト8、国体にも出場するなどの活躍をしています。
さらに!高校卒業後には、スポーツ推薦で日本体育大学に入学しています。障がいの有無なんて全く関係ない!ということを、実力で証明しているすごい方なのです。
当時のハンドボールをプレーしている映像を見ると、ビックリしますよ!障がいを感じさせないどころか、あのバネのあるジャンプ力は天才的で、僕の心は震えました(笑)沙絵さんを好きになった理由の一つでもあり、元中日ドラゴンズの中里篤史選手のようなバネとしなやかさを個人的には感じました。
ハンドボール選手としての辻沙絵さんについては、「みんなちがって、それでいい」の第2章を、是非とも読んでほしいです!
1年半以上も体育館で続けた「片手で投げて片手でキャッチする」というかべ打ち練習や、レギュラーになるまでの軌跡やケガへの対処、とにかく全てがかっこいいんです!
パラ陸上と日体大水野洋子コーチ(現監督)との出会い
日体大で実施されたパラリンピック選手発掘プロジェクトの1人として、沙絵さんに白羽の矢が立ち、パラ陸上と出会うことになりました。
とはいえ、ハンドボール選手として健常者と対等に渡り合っているという自負もある上に、右腕が短いことを「障がい」として意識したことがなかったため、「障がい者」と宣告された感じがし、当時は涙が止まらなかったそうです。
それでも、パラ陸上への魅力も感じるようになり、大好きなハンドボール(しかも、レギュラーをとる実力もあるわけです)を辞める決心もつかなかったため、最初は兼部という形でスタートしました。この決断もかっこいいですよね!
水野洋子先生にとっても、障がいのある選手を本格的に指導することは初めての経験ということで、二人三脚で成長していくことになっていきます。
辻沙絵選手と山本篤選手との出会い
2015年に、カタールの首都ドーハで、パラ陸上競技の世界選手権が開かれ、沙絵選手は初めて世界選手権に出場しました。
この大会で、パラ選手達のレベルの高さを感じることができ、障がいの有無なんて関係ない「スポーツ・競技」の素晴らしさを実感することになりました。
それは、障がいではないけれど病気がある健常者の僕が、パラスポーツに出会った時と同じ感覚だったのではないかと思っています。
そしてもう1つ大きな出会いが!
この世界選手権で、走り幅跳びで金メダルを獲得したのが、パラアスリートのレジェンド・山本篤選手でした。表彰台で君が代を歌う山本選手の姿に感動し、パラ陸上一本にしぼることを決意しました。
辻沙絵選手の名言・言葉
出来ないと諦めるのではなく、
出来ることを見つけ増やしていきなさい
この言葉は、沙絵さんがお母さんからもらった言葉です。この考え方の延長線上に、日常生活などでの困難のクリアがあり、ハンドボールやパラ陸上でのメダル獲得に繋がっているのだと思います。
僕自身、BS日テレ放送の「ストロングポイント」でこの言葉に出会ってから、未来が開けた氣がしました。焦らなくていい、出来ることを1つずつ増やしていこう!と。
病気になってから、最初に心を大きく動かしてくれたのがこの言葉でした。当時の辻沙絵さんと出会った事で、僕の止まっていた「時」が少しずつ動き始めることになり、パラアスリートに興味を持つきっかけも、この沙絵さんのおかげなのです。
そんなお母さんからの言葉を受け、教師になるという夢を持っている沙絵さんが、障がいのある子供たちに伝えているのが、この言葉です。
最初から諦めるのではなく、何でもやってごらん
挑戦してみて学ぶことはたくさんあるから
いろいろなことを乗り越えて、リオパラリンピックではメダルまで獲得してきた沙絵さんから発せられる言葉だからこそ、この言葉の重み・説得力を感じます。
この言葉は、障害者、健常者という枠を越えて、誰にでも共通する言葉だと思います。皆さんにも是非、この言葉を大切にしてほしいと思います。
僕が受け取った、辻沙絵さんからのバトン
リオパラリンピックの「陸上女子400m(切断などT47)」で銅メダルを獲得した際、直後のインタビューでの言葉。
たくさんのものを犠牲にして、いろいろ辛い練習も乗り越えてきて、
やっとつかんだものだと思うので、すごく嬉しいです。
このインタビューが沙絵さんと僕の出会いであり、この言葉と沙絵さんの涙に、めちゃめちゃ感動しました!一度見てほしいです。
ここで言う、「犠牲にして」という言葉は、おそらく「大好きだったハンドボールを犠牲にして」ということだと、僕は理解しています。
少し違うかもしれませんが、僕自身も大好きな野球が今は出来ません。このインタビューを見た当時は、野球をするという想像すら出来なかったので、その想いと重なって響いたのだと思います。
今は、いつか野球をしている自分を想像していますし、それを目標・モチベーションに行動しているので、当時とは氣持ちも全然違います。
そう思わせてくれたのも、先ほど紹介した沙絵さんの「最初から諦めるのではなく、何でもやってごらん」なのです。
沙絵さんは、左手に右腕の先を添えてボールをつかむという、独特のキャッチングを編み出して、ハンドボールの強豪校でレギュラーまで獲得しました。
僕自身も、最初から諦めずやれることからやっていきます!それが、車いすで遍路をしていくきっかけでした。こういった積み重ねが、いつか野球に繋がると確信しています!
そもそも、この言葉と出会ってから、小さなことから頑張ってきたからこそ、「車いすに乗れるところまで来た」という事実があります!あの当時、座ることなんて考えられない日々でした。間違いなく、野球をする日も決して遠くはないはずです!
みんなちがって、それでいい(重本沙絵・宮崎恵理)
ここまで紹介してきた辻沙絵(重本沙絵)さんが監修し、スポーツジャーナリストの宮崎恵理さんが著者となって書かれた書籍本が、「みんなちがって、それでいい:パラ陸上から私が教わったこと」です。
辻沙絵さんが生まれてからリオでメダルを獲得するまでの物語と、東京2020パラリンピックでかなえたいことやその先の夢にいたるまで、分かりやすく書かれています。
環境にせよ健康状態であれ、今もちあわせているモノを最大限に活かして、自分が挑戦したいことを諦めないでほしい!そんな想いを、沙絵さんの生き様や姿勢を通して、読み終わった後には感じとることができると思います。
僕自身が、沙絵さんやこの本から大きなパワーをもらってきたように、皆さんにも必ずや人生をプラスにするヒントが散りばめられていると思います。
この記事を含め、今後の皆さんの人生や生き方に、少しでも参考になってくれたら嬉しく思います!