こんにちは、ゴローです。
皆さんお久しぶりです。2023年初投稿ということで、今年もよろしくお願いします。
どれだけ体調が悪くても、月に2回は記事を更新しよう!と頑張ってきたこのブログでしたが、5月にしてようやく初投稿となってしまいました。
というのも、年明け早々、さらなる体調悪化が起きてしまい、特に1・2月は生死をさまよっている感じでした。お蔭様で、こうして生きてはいますのでご安心下さい!笑
そして、この間に改めて!
漫画MAJOR・茂野吾郎のもつパワーを、実感する日々でもありました!7年以上前の病気が一番ひどかった時を筆頭に、何度も何度もMAJORからパワーをもらってきましたが、今回みたいに最強レベルでやばい時には、そのすごさを地球レベルで感じずにはいられないんです!
どれだけきつい時でも氣持ちを切らすことはなかった僕でしたが、今回初めて氣持ちが切れてしまって、いろいろ余分なことを考える時もありました…。それでも!もう一度前を向かせてくれたのはやっぱり茂野吾郎であり、MAJORでした!
そんなわけで、2023年一発目になる本日の記事では、僕に勇氣や希望をくれたMAJORの名言について書いていきます!
MAJORの名言や名シーンから学べる「完全版」については、僕の病気が終わったその時には必ず!書籍として出版する予定ですので、今回は吾郎の中学生・高校生の時代の名言をピックアップしていきたいと思います。
Contents
- 茂野吾郎→山根義隆への言葉・名言(三船東中学校時代)15巻136P~
- 茂野吾郎→茂野英毅(父親)への言葉・名言(三船東中学校時代)18巻37P~
- 清水薫(後の吾郎の妻)→茂野吾郎への言葉・名言(三船東中学校時代)18巻162P~
- 佐藤寿也→乾教官(海堂高校野球部の夢島コーチ)への言葉・名言25巻120P~
- 佐藤寿也→茂野吾郎への言葉・名言(海堂高校2軍時代)29巻181P~
- 茂野吾郎→寺門健一への言葉・名言(海堂高校2軍時代)31巻119P
- 藤井(聖秀野球部)の言葉・名言(聖秀学院高校時代)34巻170P
- 茂野吾郎→清水大河(聖秀野球部)への言葉・名言(聖秀学院高校時代)38巻10P~
- 田代(聖秀野球部キャッチャー)の言葉・名言(聖秀学院高校時代)46巻72P~
- 茂野吾郎の言葉・名言(メージャー挑戦トライアウト時)48巻26P~
茂野吾郎→山根義隆への言葉・名言(三船東中学校時代)15巻136P~
俺は好きならあきらめねえ。自分が好きなもんを、そう簡単にあきらめんじゃねーよ。少なくとも俺は「それ」をあきらめちゃいねえぜ。
俺も3年前に右肩を壊した― キャッチボールもできないほど痛めちまった。医者にも監督にも親にも、もう野球はあきらめろって言われたさ。
けど、俺はあきらめられなかった… 俺から野球をとっちまったら、なんにも残らねーからな… よく見ろ山根!そして俺なりに出した一つの答えが― これだ!!
これだ!!の後に続くシーンが、右肩を壊した吾郎が、初めてサウスポーとして投球する場面になります。この場面、何度見ても涙が出てくるし、勇氣をもらえます!
感動したのは僕だけじゃないと思います。このシーンはMAJORの中でも一番核になるシーンだと思うし、絶対に諦めることなく前に進み続ける吾郎の、最も典型的なシーンだと思います。
病気に置き換えても、とにかく諦めるんじゃねー!と言われているような氣がしました。中学生になってからサウスポーに転向して、プロどころか大リーグの頂点にまで駆け上がっていくなんて、人間に限界なんてないんだなって思わされます。
完治は難しいと言われている病気だろうと、現在は座ることさえ難しい症状があろうとも、何かをきっかけに状況がイッキに変わることは普通にあると思います。それが、吾郎の場合は右利きから左利きに、という選択だった。好きなことのために諦めなかったからこそ、考え抜いた結果出てきた選択肢だったと思います。
僕も吾郎のように、いろいろなことを試しながら、そして実践しながら、必ず野球をするとこまで歩を進めます!いつか「それ」をつかみとるために。
茂野吾郎→茂野英毅(父親)への言葉・名言(三船東中学校時代)18巻37P~
言っとくけどオレは大変だなんてこれっぽっちも思っちゃいねーよ。それどころかワクワクしてんだ― このオレの左腕に秘められた未知で無限の可能性にさ-!!
サウスポーに転向してから手応えを感じていた吾郎に、最初に訪れた壁だった。元々右利きだったとは思えないほどのスピードボールを左で投げる吾郎だったが、速いだけで回転数の少ない「キレ」のないボールでした。
元々右利きではない吾郎にとって、野球の練習だけでは限界があり、キレのあるボールをマスターできる保証はありません。でも、吾郎に不安なんて全くないんです!
それどころか、こういった壁を、自分の成長するチャンスだと考えることが出来るわけです。これは大谷翔平選手と全く同じ思考ですね。
僕は、正直今の状況を大変だと思っています。一方で、自分を成長させる機会でもあるし、人生の方向性を変えることが出来る大きなチャンスだと思う時もあります。でもやっぱり、あまりに症状がきつい時は、どうしてもワクワクする余裕が無くなってしまいます。
吾郎だったら、きっと今の僕の状態でも打破してしまうはずなんです!僕も、自分に秘められた未知で無限の可能性を探しながら、いろいろ取り組んでいきます!
清水薫(後の吾郎の妻)→茂野吾郎への言葉・名言(三船東中学校時代)18巻162P~
反省なんかすんな!!あたしなんか…もう反省することしかできないんだから…まだ試合ができる幸せ者のくせに―
くだんないことで落ち込んでる暇があったらあんたも命がけで勝ちにいきなさいよ!!
ライバル寿也の、人生レベルでの覚悟を前に、珍しく弱氣になっていた吾郎。すでに最後の試合(ソフトボール)に負けてしまっていた清水が、吾郎に対して放った言葉です。
吾郎にもグサッときたと同時に、僕にも刺さりました。
理由は2つ。今の僕にとって、「普通に」暮らしている人がめちゃくちゃ幸せに見えます、ただそれだけのことで。なのに、不平不満を耳にすることも多く、人生に文句言うなよ!って思うことがよくあるので、清水と同じ氣持ちになります。
もう1つは、病気の症状がどれだけきついとしても、僕は生きているんです!生きていれば、いろんなチャンスがあるわけです!死んでしまったら終わり。不幸なニュースを見るたびに、自分にはまだチャンスが残されているわけだから、落ち込んでる暇があったら、やれることやっていこう!ってよく思わされます。レベルは違えど、清水の言葉は、そういったことにも繋がっている言葉だと思います。
佐藤寿也→乾教官(海堂高校野球部の夢島コーチ)への言葉・名言25巻120P~
彼は推薦されなかったからここまで進化したんです。海堂付属中に敗れた悔しさと、この島で三か月間教官方に鍛えていただいたおかげでね。
海堂高校に入学し、夢島で吾郎が最初に投球をした場面です。推薦で海堂に入学した選手は全員エリート選手です。しかし、この地点での吾郎は違いました。
中学時代には海堂の付属にボコボコにされ、夢島で植え付けられたハングリー精神が、吾郎を「怪物」への入口へと案内していました。
そうです、最初からエリートの道ではこのレベルにはならなかった。挫折や壁が「あったからこそ」、更なる進化を生んだのです!「人間万事塞翁が馬」ってやつですね。
これは吾郎に限ったことじゃないはずです!僕で言えば、病気を経験したからこそ、ここまで症状が厳しくなったからこそ、必ず得るものがあるはずなんです!それがどんな形で花開くか分からないからこそ、今を一歩一歩頑張っていくしかないんだと思います。
この言葉が、吾郎本人からじゃなくて、ライバルで親友でもある寿也の口から出た言葉だっていうのがまだ良いですよね!
佐藤寿也→茂野吾郎への言葉・名言(海堂高校2軍時代)29巻181P~
この肩しかないだろ!?吾郎君にはもうこの左肩しかないんだよ!!
吾郎君と一緒に… 僕はここにいるみんなで一緒に甲子園に行きたいんだ!!
いつものように無理をして投げ続けようとする吾郎。それを吾郎と喧嘩してまで止めようとした寿也の言葉です。本人以上に吾郎を心配する、吾郎との友情に感激します。
この名シーンに限っては、病気との関連性は少ないかもしれませんが、それでもめちゃくちゃ涙が出た場面でした。
きっとそれは、僕のことを長年励まし続けてくれている多くの友人の氣持ちと重なったからだと思います。俺は必ず、その想いにこたえてみせる!
茂野吾郎→寺門健一への言葉・名言(海堂高校2軍時代)31巻119P
夢島で他人(ひと)にやらされてた練習を努力とは言わねえだろ。
好きな野球(こと)して将来飯食おうなんて図々しい特権、与えられた宿題(こと)こなした程度で手に入るわけねえじゃん。
これもまた、吾郎らしいシビレル言葉ですね!
夢島という、地獄のような練習を逃げずに頑張ってきたという寺門。それでも、努力だけではどうにもならない才能の差を感じ、海堂を辞めようとした場面です。
日々の生活で「頑張っている」ことなんて、確かに努力ではないのかもしれません。なぜならそれは、頑張るという言葉を使っている地点で、与えられた宿題であることがほとんどだから。
これは病気にだって当てはまること。西洋医学では治らない難病・慢性疾患などであっても、他の方法で治っている人はたくさんいるわけで、自分でいろいろ調べて、いろいろな方法や視点を使うことで、治る選択肢はどれだけでもあるということ。
こういった視点は、与えられた事をこなしているだけでは手に入らないはず。そして、これを頑張るわけじゃなくて、自分のためなんだから喜んで全力でやっていく、これこそが「努力」なのかもしれない。吾郎に言われて、改めてそう感じました!
藤井(聖秀野球部)の言葉・名言(聖秀学院高校時代)34巻170P
そして、あいつのものすげえエネルギーの向こうに感じるんだ!!
茂野(あいつ)と一緒にグラウンドにいれば― まだ俺が見たこともねえすげえことに出会えるような気がするんだ!!
何の目的もなく高校時代を過ごしていた藤井にとって、吾郎との出会いは衝撃でした。同じ人間が、しかも同級生がこれだけの速い球を投げるというその事実だけで。でもそれは、吾郎の持つエネルギーや野球への愛があってこそ。決して実力だけの話ではなかった。
こういった本能で感じるエネルギーは、病気が治る過程でも大事だと思います。それが人間なのか事柄なのか物なのかは分かりませんが、すげえことに出会えるような氣がしたのであれば、それを素直に試していきたいと思います。
そしていつか、自分も吾郎のように、エネルギー・パワーを多くの人に与えられるような人間になっていきたいと思います!そのためにこんなきつい経験をしているはずなので。
茂野吾郎→清水大河(聖秀野球部)への言葉・名言(聖秀学院高校時代)38巻10P~
さっきからそうやって、いちいち人生先読みしておもしれえか?
できるかできないかじゃねえよ。男なら、やるかやらねえかのどっちかしかねえだろうが。それが好きなことならな。
この言葉は、MAJORの中で僕が2番目に好きな言葉であり、「座右の銘」の1つとして、寝たきり時代から何度も救ってきてもらった言葉です。
こちらの記事で詳しく書いていますので、読んでいただけると嬉しいです。
病状がきつくなればきつくなるほど、この言葉が刺さると同時に、きつすぎて「できるかできないか思考」になってしまうもどかしさがあります。
それでもやっぱり!やる!やるんだ!という言葉・想いをもつことで、今の状況を打破していきたいと思います。吾郎の歩みを考えれば、自分にだってやれるはず!
田代(聖秀野球部キャッチャー)の言葉・名言(聖秀学院高校時代)46巻72P~
未来(そこ)に何かがあるから戦うんじゃねえ!
きっと目の前(そこ)に、まだどでかい山が立ちはだかってるから戦うんだ!!
これも病気に限らず、生きていく上で大事な考え方ですよね。今の自分にとっては、例えばカフェに行くとか、イオンに行くとか、かなり無理をして行くことになるのですが、時にぶっ倒れそうで命がけみたいになります。
そんな時、何のためにこんな事しとるんだろ?って思う時がよくあります。でも、こういった無理をしないと、ただ家で苦しんでいるだけです。
無理して(何か目的があるわけでもなく、外出すること自体がリハビリとして)外出することに一体何の意味があるんだ!?と思いがちですが…、未来のことなんてどうでもいいから、「いま」を楽しむ、今頑張っていることがいつか意味を持つかもしれない!そんな思考で頑張っていきたいと思います。
ここでの田代の場合は、眉村を打って勝つなんてことは0%に近いけど、それでも最終的な勝ち負けどうこうじゃなくて、目の前の眉村との対決に全力を傾ける!そういうことでした。そんな1打席の小さな積み重ねが、「結果的に」何かに繋がっていくんでしょうね。
茂野吾郎の言葉・名言(メージャー挑戦トライアウト時)48巻26P~
足をケガして半年― 焦らずゆっくり慎重にリハビリを重ねてきた…
この日のために!!
ずっと聞こえてたんだ―
俺の体中から野球をやりたいって悲鳴がな―!!
高校を卒業し単身アメリカに渡り、最初のトライアウトで初めて投球をする時の、吾郎の心の声、いや魂の叫びです!
何氣ないシーン、何氣ない言葉かもしれません。でも今の僕にとっては、涙が止まらなくなるシーンなんです!
この7年半以上の日々、僕自身がずっと心に秘めている感情・言葉がこれだからです!吾郎にとっては半年なので、ある意味僕の方がこの想いは強いかもしれない!
マジで悲鳴が聞こえるんですよ!!自分だけが野球・ソフトをやれないって夢を何度見たことか!大袈裟じゃなくて、全身から湧き上がってくるんだ!野球がやりたいって!!
「この日のために!!」この短い言葉がマジで響いたし、今の僕が最も早く発したい言葉かもしれない。野球をすることになった時はもちろんのこと、いろんな場面で「この日のために!!」って思える瞬間を目指して、今後も前に進むのみです!!
でもやっぱりその象徴が、野球のグラウンドでショートのポジションにいる!バッターボックスに立っている!ナゴヤドームの応援席にいる!この瞬間だと思うんです。
そんなわけで、今の自分にとっての象徴であるこの言葉を、最後の名言として締めさせていただきました。
本日も最後まで読んでいただいた皆さん、ありがとうございました!