こんにちは、ゴローです。
本日の記事では、僕が救急車で運ばれることになった日からの3日間について書いていきたいと思います。
1週間、耐えに耐えていたのですが、痛みが限界を迎えて?なのかは分かりませんが、痺れや脱力感が出てきて、最後は意識がなくなりました。
もちろん救急車の日も怖かったのですが、ホントの恐怖を感じたのは2日後でした。そして、もうただ事ではないんだな・・・、と感じずにはいられない日々のスタートです!
楽しい感じで書いていきたいのですが、とりあえず今回は、当時のリアルな感覚を中心に書いていきたいと思います。
正直、昨日のことのように思いだせますね(苦笑)
Contents
意識を失い、救急車で病院へ【9月29日】
こちらの記事の続きになります。
旅行中に風邪をひき、病気が発症してから1週間が経ったこの日。自分の感覚的には、この日からいよいよ病気が始まったという感じがあります。
朝起きると、いつもと同じく、とんでもない頭重感は変わっていない。普段通り出勤して仕事をしていましたが、午前中に手足がしびれてきて、感覚がなくなっていきました。
30分ほど我慢していたら戻ったのですが、ひょっとしてまずい?という感覚が芽生えてきました。でも、手足の感覚がなくなるなんて経験したことがなかったので、痛みの我慢の限界がきたかな?くらいで放置してしまいました。
その後、16時頃でした。再び、手と腕がしびれてきて、またもや感覚がなくなりました。頭を中心に、体のふらつき具合も尋常じゃありません。
これはさすがにやばいぞ!
本能的にそう感じました。今回ばかりは、迷わず会社を早退することにしました。手の感覚は無かったけど、歩くことはまだ出来たので、電車で家に向かいました。
電車の中に座っていた時、言葉で表現するのが難しいのですが、頭がおかしくなりそうな自分じゃないような感覚で、意識もだいぶ遠のいていました。
あと少し、あと少しだから、なんとか家まではもってくれ!
あと3駅…、あと2駅…、ここでついに意識がなくなります。
この辺から意識があったりなかったり、朦朧状態。ギリギリまで耐えていたものの、次の駅が最寄り駅でしたが、もうやばいと思い1つ前の駅でなんとか電車を降りました。
意識が朦朧としていたので、あまり覚えてはいませんが、駅員さんに救急車を呼んでもらいました。あの時の駅員さんに、治ったらお礼を言いに行きたかったのですが、まだいるのかな?
救急外来では異常なし。本当は怖かったあの日【9月29日②】
そんなわけで、自宅までたどり着けずに救急車で病院に行くことに。
救急車の中で意識はだいぶ戻りました。救急外来で、頭部CTと血液検査を行いましたが、特に異常なしという結果で終わりました。この後、何度も目にする「異常なし」という言葉ですが、この時だけはホッとしたことを覚えています。
基本的には異常なしだったのですが、CTの結果から副鼻腔炎の疑いも?という話になったので、翌日別の病院に行くことになりました。
搬送された病院でしばらく経ってから、親に会いました。平然をよそおっていたけど、ホントはめちゃくちゃ怖かったことを覚えています。
電車の中で、人生で初めて「死」というものを意識しました。この後もっと状態はひどくなっていくのですが、この時の感覚は特別なモノとして残っていますね。
検査も終わり、意識も普通の状態になってきたので、自宅に戻りました。
1週間後に友達との飲み会の予定があったので、ひょっとしたら行けんかもしれない(もちろん行けませんでしたが)という連絡をしました。
「救急車で運ばれちまってよー(笑)」なんて冗談っぽく連絡しましたが、ホントはめちゃくちゃ怖かった!でも、まだ冗談言う余裕はあったのかな。
病気の原因をつきとめろ!総合内科と耳鼻科を受診【9月30日】
翌日は会社を休み、総合病院へ行きました。
受付けで症状を説明し、総合内科と耳鼻科を受診することになりました。内科では、特に検査をするでもなく、風邪のピークでしょう、ということで終了…。
ほんまかいな!そりゃ僕も、風邪がひどいのかな?とか思ってはいたけど、手のしびれや意識を失う経験したわけだし、これでいいのか?という疑問は残りました。
続いて耳鼻科へ。これは、前日に病院へ運ばれた時の頭部CTで、副鼻腔炎の疑いがあったからです。ただの風邪で、CTにそのように出ているだけかもとも言われました。
とりあえず薬を出すということで2種類。細菌の感染を抑えるための「メイアクトMS錠100mg」という薬と、膿や痰を出しやすくするための「ムコダイン錠500mg」という薬を1週間飲んでみましょう、ということでこの日は終了。
特筆すべき点としては、この時の医者がなかなかすごいキャラでした。診察中もずっと貧乏ゆすりをしていて、マジめんどくさいなあ、みたいな態度が明らかに出ていました。
ここまですごいと、もはや腹が立つこともなく、我が家では伝説の医者としてネタになっています(笑)でも、怒る人はめちゃくちゃ怒るだろうね、あれは。
もう笑い事ではないと思わされた日【10月1日】
朝起きると、症状のきつさはいつもと一緒だった。
それでも、救急車での外来・前日の病院で、特に何か病気だということもなかったので、普通に会社に出勤。氣持ちの上でも、頭痛がひどいだけで、病気は治ったんだという感覚で会社に向かいました。
ちなみに、前日が父親の退職日ということで、何となく新しい生活が始まる感じがして、僕の状態もよくなる予感がしていた。
この後、親父の退職が意味あるモノとなっていくのであるが(苦笑)
いつも通り出勤して午前中を終えます。報告が多い日で、部署移動などでけっこう動いていたのですが、なんとか午前中の仕事はやりきりました。
そして、運命の昼食タイムに!
お店に食べに行くのがきつかったので、スタバでサンドイッチとコーヒーを頼んで座席に座りました。一口食べようと思ったところで、我慢していた体が完全に悲鳴をあげました。
頭痛などの痛みにかまってられないほどに、一瞬でも氣をぬいたら失神する!という感覚が自分でもハッキリ分かるような状態が続きました。救急車で運ばれた日に経験した、手のしびれや脱力感も一緒にやってきてしまいました。
スタバの中にいた人で僕の異変に氣づいている人もいたけど、あーゆう時って声かけるの難しいですよね、勘違いかもしれないし。実際、声をかけられたとしても、何か反応できる余裕はなかったかもしれません。きっと、声かけられたら再び救急車をお願いせざるをえない状態だったので、それだけは避けたかった。だから、氣を失わないように!とにかく粘っていました。
結局13時を過ぎても、失神寸前状態は続いて、職場に戻ることもできず。13時半を過ぎた頃に、ようやく少し落ち着いて、なんとかそのすきに職場に戻りました。
1時間半くらい粘っていましたが、めちゃくちゃ長い時間でもあり、一瞬のようにも感じる感覚もありました。もうダメかもしれないっていうのがよぎったし、どうやら簡単な状況じゃないな、もう冗談言っとる場合じゃないわ!って、この時思いました。
スタバでサンドイッチ買ったの初めてだったんですが、一口も食べられませんでした。この時から、病気が治ったらリベンジしたいことの1つになりました。食べるだけなら、今でも一応できるんだけどね(笑)
スタバ事件を終え、再び迷いの森へ【10月1日②】
スタバでの90分1本勝負を終え、なんとか職場に戻った僕。
いつもなら、ギリギリまで様子を見てしまう僕ですが、さすがにこの日は戻るなり、上司に早退することを報告。
したまでは良かったのですが、2日前の時とは違い、もう歩いて帰るなんて不可能。立っているのも不思議な状態だったので、とりあえず保健室に行きました。この時初めて、会社に保健室なんてあったんだと知りました(笑)
2時間ほどベッドで横になったところで、少し動けそうな感じになってきたので、父親に会社の下まで迎えに来てもらいました。母親は仕事だったので、前日が父親の退職日だったのも運命かもしれませんね。このタイミングまで、僕の体も頑張ってくれたのかな。
冷静に考えると、退職後1日目が、自力で家に帰れない息子を迎えに行くなんてかわいそうだけどね。これ以降、僕に恨みを持っているんじゃないか?って思う時が多くなるんだけど、それも仕方ないことかもしれないですね(苦笑)
とりあえず、自宅には帰れました。
もう普通の状態でないことは確信してしまったので、翌日から再び、本格的に病気の原因を見つける旅に出かけなくてはいけなくなりました。
と思っていたのですが、その前に、
この日の夜、事件は起きました。
次回につづく。