こんにちは、ゴローです。
本日の記事では、ドラマ「バントマン」の名言・名シーンについて書いていきます。
中日ドラゴンズの全面協力で、連続ドラマで初のタッグとなったこのドラマ。さらには、ホームランなどの分かりやすく目立つプレーではなく、「送りバント」にスポットライトを当てたドラマというのが、このドラマの特徴かと思います。
野球好きとして!目立たないプレーにこそ、勝利のキーポイントが隠れていると常々思っているものとして!このドラマから学べることを書かねば!と筆をとった次第です(笑)
Contents
坂東彌十郎(櫻田誠一郎) → 鈴木伸之(柳澤大翔)への言葉
ヒーロー(大翔)のホームランは、誰よりも美しい。
でも、それと同じように、ヒーローの送りバントもまた見たい。
プロ野球人生で、たった一度っきりのバント。
人生でたった一度の犠牲バント、私は一生忘れない。
あの時の悔しそうな表情を、私は一生忘れない。
主人公である大翔が働くことになった会社の社長の言葉がこちら。ただの野球好きのおっちゃん(笑)ではなく、人生において大切な考え方を暗に教えてくれています。
要はホームランもバントも、それぞれの価値があるということです。客観的には、ほとんどのファンにとっては、ホームランの方がバントよりも価値があると思うかもしれない。でもどんなプレーにも、必ずそのプレー特有の価値があり、どれも美しいのです。
これは野球に限ったことではありません。人生においても、一見輝いているように見える人と自分を比べてしまい、落ち込んでしまうこともあるかもしれません。でも、人は人、自分は自分なのです。自分の出来ることを一生懸命やっている姿(プレー)は、どれも美しいものです!そして、この社長のように、誰かが必ず見てくれていると思うのです。
坂東彌十郎(櫻田誠一郎) → 鈴木伸之(柳澤大翔)への言葉
サインとはいえ、自分を犠牲にしてまで、チームの勝利を優先したヒーローはかっこよかった!そうなんです、犠牲はかっこいいんです。
もう一度、プロ野球の世界に戻れるまで、ここで働こう!
ホームランを打つ場所が見つかるまで、ここでバントしよう!
ホームランバッターである大翔にとっては、ホームランを打つことが自分の価値だと思っていたことでしょう。そして周りのファンも、どうしてもホームランという目立つプレーに価値を見いだしがち。
「チームの勝利」という絶対的命題から考えてみれば、ホームランもバントも同じような価値を持っているはずです。点差の開いた場面でのソロホームランよりも、接戦の中で決めた「犠牲バント」の方が評価されるべきだと思いませんか?
他の仕事でも同じですよね。成績だけでは分からない、目にはつきにくいその人自身の特徴を活かしたプレーが評価されれば、その組織はより強くなれると思います。仕事をバリバリこなして成績を出す人がいるかもしれません。その裏で、「分かりやすい結果としての」成績は残せなくても、同僚が働きやすくなる雰囲気作りのうまい人・ムードメーカー的な存在の人もいるかもしれません。「犠牲」という言葉とは違うかもしれませんが、いろんな方がそれ相応の評価を受けるといいですよね。それこそ、野球での送りバントの地位・価値に関しても、もっと上がっていってほしいと個人的には感じます。
坂東彌十郎(櫻田誠一郎) → 倉科カナ(根鈴華)への言葉
確かに、端から見れば、報われていないかもしれない。
でも、犠牲になることで、誰かのスコアボードに、幸福という名の得点が刻まれる。
人生を考える上で、この言葉も奥が深いですね。「端から見れば」本人の結果としては報われていないことが、人生の中では多々あると思います。そんな時、その本人の行動によって誰かが幸せになったのであれば、それはもう、その本人にとっても幸福なのです!
自分の行動で2人(以上)が幸せになっているわけですから、なんなら自分だけが主役として幸福になるよりも価値のあることだと思いませんか?これぞ最高の「犠牲」精神ですね。
視点を野球のプレーに変えてみても、例えば自分のチームが点差をつけて勝っている時、ホームランを打たれて点を取られるのはそんなに恐くない。それよりも、ヒットや時にはバントなどで繋がれる方が、最終的には同点・逆転に繋がってしまうなんてことはよくあることです。野球の本質が教えてくれる、人生を輝かせるためのヒントがここにある氣がしてなりません。
鈴木伸之(柳澤大翔)の言葉
どんだけあんたのために繋いだと思ってんだ。
みんなで繋いで、送って、あんたに打席回したんだぞ。
そこでヒット打てないならしょうがないよ。でもな、打席に立とうともしないなんて、俺は許せない!
打席に立ちたくても、立てないやつもいるんだ!
ここまで見てきたように、犠牲や繋ぐという行為は素晴らしいことですよね。でもそれは、誰かを輝かせたいという氣持ちがあるからこそ出来ること!
誰かのために行動してきたからこそ、その誰かが打席にも立とうとしなかったら辛いというか報われないですよね。大翔の口からこの熱い言葉が出てきたということは、繋ぐ側の氣持ちが分かるようになってきたからと考えると、いろんな意味で成長が分かります。
ここで僕に一番刺さったのが最後の言葉「打席に立ちたくても、立てないやつもいるんだ!」。戦力外となった大翔にとっては、文字通り野球の打席に立ちたくても立てないわけです。そして僕にとっては・・・、人生のあらゆる面で「打席」に立てない辛さ・悔しさをいやというほど味わってきました!
三振やエラーすることなんて別に大したことじゃないんですよね。挑戦すら出来ないことが何より辛い。そんなことすら病気を経験しないと(本当の意味では)分からなかったわけですけどね。とはいえ、昔と同じような「打席」に立つことは難しくても、今の自分なりの打席は、探せば山ほどあるはずなので、言い訳せずに打席に立ちたいと思います!そして文字通り!野球することも全然諦めていないので、必ずいつかバッターボックスにも立ってみせます!
鈴木伸之(柳澤大翔) → 坂東彌十郎(櫻田誠一郎)への言葉
自分の子供の頃の夢は、プロ野球選手でした。
で、クビになった今の夢も、プロ野球選手です。
もっと言えば、やっぱり、中日ドラゴンズの選手として、プロ野球の世界に戻ることが夢です!
戦力外となりショックを受けながらも、常に前を向いて野球選手でいることを諦めていない大翔の姿勢をよく表している言葉ですね。そして、いかに大翔が野球を愛しているのかも分かる言葉で、僕には刺さりました。
そして最後の!「中日ドラゴンズの選手として」という言葉が、ファンとしてはこんな想いを持ってプレーしてくれる、チームを愛してくれる選手が、実際にも1人でも多くいたら嬉しいですよね!
鈴木伸之(柳澤大翔)の言葉
(9回裏二死満塁。3ボール2ストライクという状況についての会議をしていた時)
そうかなあ、俺的にはチャンスだと思うけどな。
打者の立場的にいえば、カウントは追い込まれている。でも、ピッチャーだって追い込まれてるんだぜ。
ピンチはチャンスですよ!俺は満塁で回ってきたら、そういう氣持ちで打席に向かっていました。
人生を輝かせるために、これぞ重要な考え方だと思うのでピックアップしました。大翔以外の全員が、2ストライクと追い込まれている部分に目を奪われていましたが、大翔は3ボールという相手投手の方が追い込まれている(だから打者にこそチャンスがある!)という考えでした。
そうなんです!状況は同じでも、視点を少し変えるだけで世界が変わることってよくありますよね。それこそ、ピンチどころか「チャンス」への入り口だったりもするわけです。
小山蒼海(大翔の息子) → 鈴木伸之(柳澤大翔)への言葉
お父さんが野球選手だから、僕はみんなから、ホームラン打てとか言われる。
お父さんが野球選手だから、みんなにエラーするなとか言われる。三振したりエラーしたら、みんなにバカにされる。もう、そういうのが嫌なんだよー!
僕の大好きな漫画に「MAJOR」というものがあります。現在「MAJOR2」が連載中なのですが、その中の主人公も、偉大な野球選手だった父(茂野吾郎)の存在がプレッシャーとなり野球を辞めてしまったことがありました。
きっとこういった話って、現実世界でもよくあるんだろうなって思います。野球に限らず、もっと言えばスポーツ界にも限らず。
こういった想いは、その状況になった本人にしか分からないものだと思いますが、僕ら周りの人間も、なるべく偏見を持たずに接していけるように注意していかなければならないのかもしれませんね。