ドラマ映画の名言・名シーン

【吉沢亮主演・安田顕】月9ドラマ「PICU 小児集中治療室」の名言・名シーンに学ぶ医療・医師の在り方

こんにちは、ゴローです。

本日の記事では、現在放送中のドラマ「PICU 小児集中治療室」の名言・名シーンについて書いていきます。

 

吉沢亮(志子田武四郎)→安田顕(植野元)への言葉(1話)

その日初めて、本気で医者になりたいって思ったんです。

小さな女の子(子役の子)が亡くなった現場の近くにいた志子田。その日、何もしてあげることが出来なかった自分に対して、怒りやもどかしさを感じた志子田。

その時、心から湧き出てきた感情がこれである。「本気で」医者になりたい!それは、目の前にいる人を助けたいという純粋な気持ちからだったと思います。

「本当の意味で」医者になりたい!っていう氣持ちは大事にしてほしいですよね。現実世界でも、こういった医師が少しでも多くいたら嬉しいですね。

 

安田顕(植野元)→吉沢亮(志子田武四郎) への言葉(2話)

僕はね、すぐコロコロ意見変えちゃうんだ。

治療方針に強い信念持つのは、大事なことだと思う。でもね、そういう意地を張りすぎて、患者さんの治療の邪魔になるのは、違うと思う。

患者さんが少しでも良くなるためなら、昨日は右って言ってても、今日は左って恥ずかしげもなく言います。

植野先生は、いつだって患者ファーストで、常に優しさがあふれています。

一見、意見をコロコロ変えるのは良くないように感じるかもしれません。でも、最初に思った治療方針が変わるなんてことは、普通にあると思うんですよね。

状況が変わっていく中で、固定観念や自分の信念のせいで治療を妨げてはいけない。自分のプライドなんかよりも、何より患者のことを考えているという想いが、この言葉から感じとれます。今回のコロナ対策に関連する様々なことも、「最初に言ったことを曲げられない」ことによって、不都合な結果を招いていることが多いような氣がします。

今こそ、簡単なようで難しい、この植野先生の考え方を大事にしてほしいと思いますね。

 

木村文乃(綿貫りさ)の言葉(4話)

事実とは異なるとおっしゃるなら、あなた方が見た真実を教えて下さい。

どの状態まで娘は生きていて、死ぬ時に、誰がいたのか。一人ではなかったか。

死ぬ前に、一度でも外の空気を吸ったのか。私は知りたいんです。

あなた方は、すぐに示談の話でけむにまいて、何一つ、私の欲しい情報を与えてくれなかった!

綿貫の子どもは、すぐに帝王切開されていれば、生存できたかもしれなかった。でも、病院側の判断ミスで死なせることになってしまった。

何より問題なのは、病院側はその時何が起こったかの真実をごまかすだけでなく、医師でもある綿貫に、裁判なんてするな!とプレッシャーを与える始末。

医療ミスや面子の話の前に、「患者側」に寄り添った情報を!寄り添った対応を!まずはそんな、人間的な部分が必要なのではないかと思わされた場面だったと思います。

 

白血病の子の親・吉沢亮(志子田武四郎)→高杉真宙(矢野悠太)への言葉(5話)

たまに思うんですよ。

命を粗末にしている人をみると、うちの子の体と替わってくれって!

なんでうちの子ばっかり。こんなに頑張ってるのに。

これは、白血病で苦しむ子どもの母親の言葉です。子どもを持つ親としては、当然思うことでしょうし、病気で苦しむ本人も同じ想いです。

ニュースなどで知る度に、僕も何度も思ってきました。体が元氣なくせに、病気以外の苦しみで自殺なんかするなよ!って。

生きている方が辛いくらいの症状があっても、やっぱり生きていたいんだって!その先に希望があるはずって信じているから、毎日毎日!頑張ってるんだって!(あんま頑張るという言葉は使いたくないけど)

なのに、自分の命を粗末にする人がホントに許せない!この言葉にあるとおり、だったら替わってくれよ!って思ってしまいますよね。

 

生きたくても、助けたくても、あの子達があんな頑張ってるのに

あいつ、自殺しようとしたんだよ。最低だよ。ホントに見損なった。

そして、この言葉も同じですね。

友人の矢野が自殺しようとしたと知り、激怒した志子田の言葉。普段から、生きることを頑張っている子ども達を見てきているからこそ、余計腹が立ったからだと思います。

最終的には矢野の行動に寄り添った志子田でしたが、やっぱり自殺は許せないですね。それぞれの人が抱える苦しみは、その人だけのモノであり、周りには理解しきれないということも理屈では分かった上で、やっぱりもどかしさがあります。単純にね、生きてくれよ!

 

柊木陽太(小松圭吾)→吉沢亮(志子田武四郎) への言葉(6話)

みんなが楽しそうなのが悔しい。

俺ばっかおいてかれてるみたいで悔しい。

拡張型心筋症により、ベッドの上にいることしか出来ない圭吾くんが、本音で語った言葉。僕自身、一番心にささった言葉だったかもしれません。

「悔しい!」病気してからの7年間、この言葉が一番頭に浮かんだ言葉だと思います。特に完全寝たきりだった初期の頃は、周りの友達は元氣で楽しんでいるのに、なんでその輪の中に俺がいないんだよ!ベッドの上で苦しみ続けているだけなんだよ!って。

写真にあるように、圭吾と同じく、僕は友達に恵まれているので、たくさんの友達に励ましてもらって嬉しかった。でもだからこそ、自分だけ「おいてかれてる」ような感覚があって苦しかった、悔しかった。

ある程度大人の僕ですら、強く感じたことだった。圭吾ももちろんそうだし、現実世界で苦しんでいる子ども達なんて、僕が感じる何倍もの悔しさがあると想像してしまいますよね。

 

稲垣来泉(藤原優里)→吉沢亮(志子田武四郎) への言葉(6話)

頑張ってるのに、どうして元気になれないの?

いじわるな人とか、悪い人とかいっぱいいるのに、

けいごが治らないなんておかしいよ。

病気で苦しむ圭吾の友達(彼女?)、優里の言葉です。

これも病人本人として、何度も何度も思ってきた言葉です。毎日のように、何かしらの犯罪のニュースが流れます。こういった犯罪者が病気になればいいじゃん、それなら被害者もいなかったのに。何で俺なんだよ!

今となっては、病気に対する捉え方も変わっているので、何で自分が…、って思うことも少なくなってはきましたが、一度は誰もがとおる感情だと思います。

そして、この子の演技があまりにも上手すぎて!ビックリしましたね、このシーンではかなり泣かされました。自分にささる言葉だっただけでなく、演技力がすごかった。

 

生田絵梨花(涌井桃子)→吉沢亮(志子田武四郎) への言葉(10話)

子どもを救うお医者さんってすごいよ。

だってもうこの子は、私の命より大事だもん。

桃子が子どもを産んだ直後に、志子田に言った言葉。

母親となった人間だけが感じることのできる、重みある言葉だと思います。しみじみとした口調ではありましたが、このドラマの中において、重要なシーン・言葉でした。

そして何より!そこにはきっと、医者を辞めようとしていた(医者とは一体何なのか?自問自答していた)志子田に対する、優しさ・激励の気持ちが含まれていたのだと思うと、なんだかジーンとくるシーンでした。

 

吉沢亮(志子田武四郎)→安田顕(植野元)への言葉(最終話)

医者や看護師は、結局、最後には何も出来ないと思うんです。

どうにかうまくいってくれと、お願いすることしか出来ない。

でも、病気やケガは、悪魔みたいに患者さんに襲って、容赦なく命を持ってこうとするじゃないですか。

僕は、人の命を預かる医者なので、何もできなくても、他に受け入れ先がないなら、僕はその瞬間(死が訪れる時まで)まで何かしたいです。

子どもが、神様が意地悪だから仕方ないと、諦めるような、そんな悲しいことだけは、どうしても避けたいです。

志子田はホントに優しいですね。

そして、優しさだけでなく、強さも感じる言葉です。これは、このドラマを通して志子田が成長していったからこそ、最後に出てきた言葉にふさわしいと思います。

「PICU 小児集中治療室」って、医療の中でも最も、「何か」できる部門だと思うんですよね。それでも、最後には何も出来ないと感じる場面があるわけで、死と隣り合わせの職場でもあるわけです。

そんな中でも、最後の瞬間まで、チャンスがあれば何でもやりたい!こんな志子田をはじとするスタッフ・医者が増えていくと良いですよね。そして、患者に(特に子ども達に)、諦めるようなことだけはしないように、心のケアができる医者である志子田はすごい!

 

高杉真宙(矢野悠太)の言葉(最終回)

生きてるとね、絶対いいことがあるから!

君にはもっともっと、楽しいことが待ってるから。

最後に、この言葉を贈ります!

これは、皆さんに対してはもちろんのこと、自分自身にも投げかけたい言葉です。死にそうな状態の女の子に、悠太がかけた言葉です。

自殺未遂をした悠太の言葉だからこそ、余計に重みがあるかもしれませんね。生きていれば絶対いいことがあるかは分からないけど、生きていないと、その可能性はありません。

頑張って生きていれば、必ず楽しいことが待っているはずです!

未来への希望があるからこそ、人は頑張っていけるのだと思います。僕でいえば病気の症状があまりにも苦しくてくじけそうな時があります。皆さんにも、それぞれ大変なことがあるかもしれません。

それでも!楽しい未来を想像して、ともに頑張っていきましょう!!

 

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